炭鉱勉強中の、フリーデザイナーのカニです!
このブログは、炭鉱が好きで炭鉱町に移住したにも関わらず炭鉱の歴史については全然分からないため、炭鉱勉強のためのアウトプットブログです。
多くは備忘録、読書感想文となりますので低いクオリティのブログをご容赦ください。
読んでいる本
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矢野 牧夫・桑原 真人・丹治 輝一(1986)『石炭の語る日本の近代』そしえて文庫
前回までの記録
【ヤマのコト】『石炭の語る日本の近代』を読む - Ka2 Design
【ヤマのコト】『石炭の語る日本の近代』を読む2 - Ka2 Design
それでは本日の読んだ分です。
二 石炭と独占資本
1 注目される優良炭田
明治末期の炭田
財閥系が乗り込んでくる直前の1912年に作られた『石炭調査概要』。全国規模で国が行った調査で、石炭産業の概観と九州、北海道、本州の炭田の概況がまとめられていたそうです。
中でもやっぱり中央が注目したのは優良炭田だった石狩炭田!
さすが石狩炭田!
(以下は諸炭田)
留萌炭田
えー…炭田の発見は明らかじゃない。炭鉱も2個だし小さかった。以上。
…えっ。
天北炭田
炭田はあるけど…幌延炭鉱と言ったらしいけど……すぐ終わった…
十勝炭田
炭鉱も無かったし運搬手段がないと開発無理じゃない?
苫前炭田
セタッコナイ炭鉱があったけどすぐ休業。炭質も劣るし輸送も不便なので開発は遠い将来になりそう。
羽幌にも鷲峰炭鉱があるけど羽幌市街地に暖房用に販売する程度。もし開発していくなら遠く留萌港に出さないとならないので発展はすぐにしないだろう。
……と、炭田はいくつも発見されていたけれども輸送手段と炭質の問題があったみたいですね。茅沼炭鉱でも輸送条件が問題となっていたそうです。釧路炭田も本格的には開発されていなかったそう。
石狩炭田の魅力
同調査では石狩炭田はとりわけ良い!みたいな扱いだったみたいで、内地が注目しはじめていたそうです。そして明治40年代に出炭量がガツンと伸びたと書いてあります。
北海道の石炭埋蔵量の約63.5%はなんと石狩炭田!さらに炭質も石狩は原料炭(良質・製鉄用になる)で、そのほかは一般炭(発電用)が多かったそうです。炭丈(石炭の層の厚さ)も天北が一番良かったんですが、石狩・留萌がこれに次いで良かったそうです。
また採炭のしやすさが決まる傾斜ですが、北海道は急傾斜が多く、石狩炭田も中~急傾斜だそうです。深度も天北は地下600m以内と浅いのですが、石狩は60~70%が600m以内、残りの30~40%が600~1200mだったようです。ただ、石狩はガスが多いと書いてあります。
ただ一言に石狩炭田と言ってもその中の地域は空知・夕張と分けられますがその条件の良し悪しはそれぞれの炭鉱で一長一短でしたが、他の地域と比較して優良だった石狩炭田は内地資本の激戦となることが予想される…
二ー1まとめ
今日は全然読み進められなかったので、ただただ「石狩炭田スゲー」という情報で終わってしまいました。でもとにかく石狩炭田は良い炭田だったんですね。こんだけ書かれるとそれだけは本当に分かります。
次回は2・3とまとめて読めたらいいなぁ。
以上、本日の読書感想文でしたv