“ボランティア”が嫌い
どうも、お金がいつも無いフリーデザイナーのカニです。総務省の制度を使って田舎に移住&仕事をもらっているので、その制度の中で家賃も見てもらっているんですが、なぜかいつもお金が無い・・・
なぜなんだ・・・。
まぁ、だからと言ってタダ働きができないってわけじゃないですよ。・・・いや、実際タダ働きするほどの余裕はありませんけど(笑)、私がタダ働きしたくない理由は他にあるんです。
ボランティアって言葉があるじゃないですか。コトバンクを参照すると、この言葉の意味ってお金をもらうかもらわないかは別として自主的に社会的な活動に参加することってなっています。
この意味でいくと、自分ものすごいボランティアしちゃってます。ほぼ毎日ボランティア。ていうか仕事がボランティア。なんじゃそりゃ、わけわからん。
でもさ、仕事でボランティアしちゃダメじゃないでしょ?私は町おこしっていう仕事をしているけど、これはボランティアじゃなくて仕事をしていると思っています。
なんというか、世のため人のために働いてるんじゃないってことです。私は、私のために働いているんです。その結果町の人のためになれば嬉しいけど、それは私が判断は出来ないと思ってるんですよね。
どこの誰を、どうして助けたいと思うのか?
私はたまたま家族が変人で、途上国支援とかが大好きでアフリカとか行っちゃうような家族がおります。最初その人がアフリカへ行くと聞いたとき、素直に「理解できない」と思いました。笑
もちろん寂しい気持ちもありましたが、何事も深く考えてしまう私の性格で「あの人は人助けをするのに、自分がしない理由は何か」とめ~~~っちゃ悩んでしまいました。
だってその人と私の違いと言えば年齢と身長と出身大学ぐらいであとはそんなに違いが無いんです。
なのに、自分もアフリカに行って恵まれない人を助けたいと思わないのは自分の欠陥なんだろうか?人として間違っているんだろうか?自分は自己中で他人に興味がない最低野郎なんだろうか?と。
そんなことをグルグル考えているうちにその家族はアフリカへ旅立ち、自分は相変わらず「なぜ自分がアフリカに行きたいと思わないのか」を考え続ける日々でした。でもやっぱり考えるっていうのは良いことで、そんな日々を送るうちに気付くこともありました。
まず気がついたことが「アフリカの人だけが困っているわけじゃない」ということ。世界を見渡せばあちこちで戦争はしているし、食べるものが無くて辛い人もたくさんいる。様々なシチュエーションの中でそれぞれに多くの人が困難な状況にあるということでした。
そしてもうひとつ、何もアフリカに行かずとも日本で十二分に辛い人がめっちゃいるということでした。アフリカで貧困のために亡くなる子どもと、日本でいじめのために自殺する子どものどちらが可哀想かなんて、自分には分からないしどちらを優先して助けるべきなのかも分からないんです。
何なら自分も結構生きてるの辛いから助けてほしいと思ってましたし!笑
だから自分はやっぱりアフリカには行かない、と思いました。
自分の国や、下手したら自分の家族や周りの人も幸せにできない自分が、誰かを幸せにできるなんて到底思えませんでした。自分がまずすべきことは、自分が他人を幸せにできるぐらい余裕を持つことだな~と。
しかしそれから数年経って、本人からかなり回答に近い言葉を聞いて腑に落ちたことがあります。
たまたま海外で色々な人と出会い、その人達のために何かしたいというのが最初の動機だったということ。そして周りが不幸だと自分まで不幸になるから、この世界が幸せな世界じゃないと自分が困るからやってるだけだっていうこと。
良かった、自分が欠陥品だから同じ思考ができなかったわけじゃなかった、と勝手ながら思いました。この動機なら自己中な私にも理解できました。
行動とそれに対する対価
人が何かをするには動機があり、それがイコール対価なのではないかと思っています。
仕事をする→お金をもらう
これが一番分かりやすい対価ですよね。逆に、お金がほしいから仕事をするんです。でも対価はお金だけとは限らないですよね。
「ありがとう」って言ってもらえること
他人から「すごい」って思われること
世間から注目されること
親から褒めてもらえること
美味しいものが食べられること
そして、自己満足できること
こんなん全部が対価って呼べるものじゃないかと思っています。
先ほどのアフリカの話でいくとその人は「困っているを助けたい、何もしないでなんていられない」っていう動機があって、それを行動に移せることが対価だったんじゃないでしょうか。要は自分は何もしなかったわけじゃないって思えることが対価じゃないかと。
その結果、本当にアフリカの問題が解決したかどうかは私には分からないし、きっと本人も結末は分からないと思います。すぐ解決するものでもないし、その活動がいつかアフリカを良い方向に導くかもしれない。
でもそれは、支援を受けたアフリカの人たちにしか分からないし、言ってしまえば数字やレポートにもならず、現地の人たちの心に聞くしかないので評価のしようもないと思います。
誰かが誰かのためにしたことって「きっと」「恐らく」「だろう」っていう憶測の域を出られないと思うんですよね。だって、してもらった人がそれでどうなったかっていうのは本人の心の中にしかないし、人が自分のために何かをしてくれたら、結果がどうであれ優しい人間は口では「ありがとう」「助かったよ」って言うじゃないですか。本当はありがた迷惑でも。
だから、自分の行動が誰かのためになるなんて自惚れたこと、自分は思えないんです。
自分がやっているのはボランティアじゃなくシゴトです
アフリカに行ったその人もそうでしょうが私も町おこしをしているとたまに、ものすご~~~く良い人だと勘違いされることがあります。世のため人のためになることが大好きで、自分の身を削って人のために働いていると。
ぜんっっっっぜん違いますから!!!!!!!!!!!!!!!!!!!笑
私は対価がほしくて働いているんです。もちろんお金が発生しないこともありますが、それもお金以外の対価があるから私はやっているだけのこと。
町おこしをすることが、自分にとってプラスになるからやっているんです。
だから私は絶対にタダ働きしないし、それを「世のため人のためだから」と強要されるのも大っ嫌いです。
そりゃー「善いコト」はした方が良いに決まってますよ。でもそれって自分にマイナスばっかりだったら「善いコト」なんですかね?
誰にとって善いコト?
何人にとって善いコト?
どうしてその善いコトだけをするの?
それって本当に善いコト?
自分はボランティア精神とか無いクズ人間なんで、分かりませんね。
せめて仕事したら、対価ください。
嘘でもいいからありがとうって言って自己満足させてください。良いことしたな~って自己満足させてください。
そんなんでシッポ振って次からまた頑張っちゃうんだから!!!!!!笑
ま、そんなんで私は自分のために町おこしをしてるんです。ついでに誰かも喜んでくれることを、ものすごーーーーーーく願って。
さて、明日もお仕事頑張るぞー♪