カニのあかびらいふ

北海道赤平市で町おこしなどをしながらフリーデザイナーとなってしまったおバカなカニのお話。

【ヤマのコト】『石炭の語る日本の近代』を読む4

こんにちは!

炭鉱勉強中の、フリーデザイナーのカニです!

 

このブログは、炭鉱が好きで炭鉱町に移住したにも関わらず炭鉱の歴史については全然分からないため、炭鉱勉強のためのアウトプットブログです。

多くは備忘録、読書感想文となりますので低いクオリティのブログをご容赦ください。

 

読んでいる本

 

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矢野 牧夫・桑原 真人・丹治 輝一(1986)『石炭の語る日本の近代』そしえて文庫

 

石炭の語る日本の近代 (1978年) (そしえて文庫〈22〉)

石炭の語る日本の近代 (1978年) (そしえて文庫〈22〉)

 

 

前回までの記録

【ヤマのコト】『石炭の語る日本の近代』を読む - Ka2 Design

【ヤマのコト】『石炭の語る日本の近代』を読む2 - Ka2 Design

【ヤマのコト】『石炭の語る日本の近代』を読む3 - Ka2 Design

 

それでは本日の読んだ分です。

二 石炭と独占資本

2 独占資本の進出

財閥系資本の北海道進

ついに来ましたっ!北炭一強だった北海道に財閥がやってきたのです!

本によると1910年代初頭~1920年代末期にかけて三井・三菱・住友の三大財閥が石狩炭田を中心に進出したんだそう。

三井・三菱

石狩炭田に最も早く進出したのは三井鉱山だったそうです。さすが三井。だんたくま。三池炭鉱の払い下げを受けてからニョキニョキと成長し、三井鉱山三井財閥の中でも三井物産三井銀行と並んで大きな収入源となり業界第一位の地位を確立していったそうです。

さらに!なんと北海道で一強だった北炭を支配…!1899年以降、北炭の株の約18%を買い占め、1900年には団琢磨は北炭の取締役になりました。その後も着々と持ち株を増やし1913年には完全な支配下に置いたそうです。

こえー。

 

で、業界第二位だったのが三菱。高島から炭鉱経営が始まった三菱は1911年から本格的に北海道進出をしました。

 

この本ではこの両社について、どちらも道内の炭田について秘密に調査を行って、優良な鉱区を独占するために奔走してたであろうと書いてあります。

ロマンだねぇ!担当者の手記とか見てみたいねぇ!!

また三井もそうだっったように、三菱も財閥内での鉱山・炭鉱の業績が中核を形成していたそうです。

 

住友・大倉

来たぜ我が住友っ!!

…と思ったら三大財閥とは言え、住友は財閥の中では炭鉱経営は後発だったそう。1910年の全国の出炭シェアは1位が三井、2位が三菱、続いて北炭、貝島、明治、官営、古河、常磐、麻生となっていたそうです。住友はその次の10番目。この時点までは別子銅山の精錬用の石炭を採っている程度だったそうです。

しかし!

この劣勢を挽回すべく、1924年の坂炭鉱の共同経営を始めたのをスタートに、山下鉱業が持っていた奔別、歌志内、新歌志内を買収と進出していきます。

 

ちなみに…

 

なんと、この三大財閥以外で石狩炭田に進出したのは大倉財閥だけだったそうです。ちなみにこれが茂尻炭鉱。すげーな茂尻炭鉱!!

 

石狩炭田以外にももちろん財閥は進出していて、釧路炭田では三井系の太平洋炭鉱と三菱系の雄別炭礦鉄道が進出。この雄別炭礦鉄道って会社ですが、尺別・浦幌・茂尻を買収したそうです。

なんと…茂尻は大倉炭鉱から三菱系になっていたのか…!!雄別炭鉱って雄別炭鉱だと思ってたら三菱系だったのか…!!

 

で、留萌炭田では「筑豊御三家」と呼ばれた明治礦業、常磐炭田を経営していた浅野同族株式会社の2社が進出。明治礦業は昭和炭鉱を開鉱、浅野さんは留萌鉄道㈱を設立、炭鉱線の開通と平行して雨龍炭礦を開鉱しています。

ほうほう…。聞いたことある炭鉱がいっぱいだ…!

 

3 生産支配の確立

北海道型生産構造

ここに出てきましたパワーワード「北海道石炭鉱業の発展における『植民地的性格』」!!

植民地とは…!?

 

ざっくりまとめると、「北海道の石炭生産構造の最大の特徴は財閥系資本の圧倒的比重」ということでした。

なんと1930年の財閥系資本の比重は96%。特に三井・三菱がほとんどで住友・大倉が進出しようとするけれど90%前後をこの2社が占めていて、中小・零細資本の発展は阻害された…と書いてあります。

 

うぅ…なんか…

2で書いたんですけど(下記参照)、北炭が出来た時も中央の人達がやってきて北炭作って北海道を独占して…なんじゃこりゃ。北海道民どこ行った。と思ってたんですけど…

【ヤマのコト】『石炭の語る日本の近代』を読む2 - Ka2 Design

北炭時代が終わったのに今度は財閥かいっ!!!!

北海道民どこ行った!!!!

 

筑豊炭田では財閥の進出と並行して地方大手資本が形成されたって書いているのに…地元企業というものは財閥に占領されて大きく成長できなかったのね…(ノ△・。)

 

財閥がガッツリ入ってきたことで石狩炭田は筑豊に次ぐ大炭田となったそうです。…が、石狩・釧路以外の炭田は昭和初期はやっぱり未開発の状態だったとのことです。

 

中小・零細炭鉱のようす

中小・零細炭鉱では大炭鉱が京浜地方を主要市場にしていたのと対照的に、地元消費が中心でした。また大手と違って労働者の確保も難しかったそうで、独自の募集策をとれない中小・零細は大炭鉱から流出する労働力や地元労働力に依存するしかなかったとのことです。

また本州では農民だった層が炭鉱夫になっていってましたが、北海道ではそれが開拓民に当たっていたため人が足りなかった…ということでした。

 

二 石炭と独占資本 のまとめと感想

  • とりあえず、石狩炭田はすごい
  • そしてとりあえず、三井・三菱はすごい
  • 住友・大倉は頑張った
  • 中小・零細かわいそう

この感想の語彙力よ…

 

さっきも書いてましたけど、北海道の「植民地的性格」って…なんだか「うーん」ってなる感じでした。

 

「日本の歴史」っていつも北海道はスルーされているような感じがしていて(本州と北海道じゃ全然歴史が違うのにな~と)、北海道は結局は日本に支配された地なんだなぁとしみじみ感じました。

あと「中央が全部持ってっちゃう」って今と構造全然一緒じゃん!

 

飲食店の方から話を聞くと「チェーン店にはかなわない」

小売店の方から聞くと「大手にはかなわない」

 

私みたいな一般ピーポーには想像もつかない、長い歴史を積み重ねてきた「大手」…。一般ピーポーはそうやって上流階級の方々が動かした世の中の隙間でなんとか生きていくしかないのか…。

世の中ってこういう仕組みになっているんだな~と…改めて思いました。

 

でももしかしたら!!

今までの歴史は財閥だのなんだの、一部の大金持ちのご一行がメインとなっていましたけど、もしかしたらこれからの歴史は違うかもしれませんしね。

そういう何かから解き放たれた、自由に対等に勝負ができる世の中がテクノロジーの進歩によって可能になってくる……こともある…可能性だってありますしね!!!

 

(でもそういうの開発しているのですらきっと大手だの財閥だの金持ちーズに違いないけどね!!)

 

負けるな一般ピーポー!!

負けるな中小・零細ーーっ!!!

 

 

…さて何のブログか分からない感じになってきたのでこの辺で。

カニの読書感想文でしたv