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Ka2 Design

北海道の炭鉱街で町おこしなどをしながらフリーデザイナーとなってしまったおバカなカニのお話。

【ひとりごつ】愛とか恋とか

「それって愛?」という不毛な疑問

 

自分の夢を諦めてでも、相手の夢を優先したいと思うって実際あるんだろうか。

 

 

愛と恋の違い

 

遥か昔…まだ自分が思春期だった頃、同級生と「愛と恋の違い」について話したことがあった(さすが思春期)。その時にその人が言っていた言葉がいまだにしっくりきているんだけれど、その人は

 

「恋はハイリスクハイリターン、愛はハイリスクノーリターン」

 

と言っていた。いや、思春期の若いモンにしてはよく考えている、とあれから10年以上経った今でも思っている。リスクというものが何なのかはひとまず置いておくことにして、要は「恋は求めるもの、愛は与えるもの」ということなのかな。

 

恋するオトナ

 

いつだったか、どこかで素敵な記事を見かけたことがある。最近の晩婚化についての記事だったような気がするんだが、内容は「最近のオトナは自己中心的だから結婚しない」という内容だった。子どもや家族より自分の夢、自分の時間が大事だから。自分の犠牲を払えないから結婚できないという、自分にとっては非常に的を得た記事だった。(ソース出せなくて申し訳ない)

 

最近のオトナはもしかしたらものすごく幼稚なのかもしれない。もちろん夢を諦め切れていない自分も含めて。昔だったらとっくに「愛」を知っている年齢の「いい大人」が未だに相手に求めているんだ、分かってって。

 

夢を諦めることと愛すること

愛というのは主語が自分だ。相手の気持ちとか状況とかは判断基準にならない、履き違えたらある意味アブナイ人になりかねない本能。動物の親が無条件に子どもを育てるまさにそれが愛っていうやつなんじゃないだろうか。子どもが親をどう思っているか、下手したら親(自分)がどう思っているかすら関係なく、相手に対して尽くすということ。

結果として、産卵後に「ほっちゃれ」になってしまっても、産まれた子どもに食べられても、子どもを育てるために命を落としても、そんなこときっと関係ない。愛っていうのは自己犠牲すら厭わないのかもしれない。

 

そう考えると、愛していれば自分の夢なんて簡単に捨てることがきっとできるだろう。夢どころか、命すらもきっと捨てられる。…愛していれば。子どもが死にそうになっていたら、子を愛する親は自分の命のことなんて二の次だって聞いたことがある。

でもそんな愛を、他人に果たして向けられるのか?他人以上の家族や仲間だったらあり得るんだろうか?

自分は人は何歳でも、どんな人でも夢を諦めなきゃいけないなんてコトは無いと思っている。だから愛のために夢を捨てるなんて馬鹿げていると思っている。でも、愛というものはきっと「夢を捨てる」という概念自体を消し去るんだろう。誰かを愛する人は、自分の夢を「捨てる」という認識すらきっとなく、何の未練も無くポイっと捨てられる気持ちになっているんだろう。

 

そうじゃないなら。

愛じゃないなら。

ただの恋なんだったら。

やっぱりそれは夢を諦めるべきじゃないし、それを強要するのもお門違いだ。「自分を愛してないのか!」とか言う奴は間違いなく相手を愛してないし、無償の愛が欲しくて欲しくてたまらない人は、それを誰かに求めるのは無駄だからクリスチャンになるべきだろう。

愛はきっと急に現われるモンじゃないんだろうな。

 

どうやら自分はまだまだ愛を知らない子どもみたいだ。